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榊 飛雄馬 数年ぶりのベースアップの賃上げ要求が焦点となった06春闘。3月14日、経営協議会で会社から回答が出された。「2500円の要求に1000円の回答、しかも全組合員一律の昇給ではなく能力役割給評価昇給の原資に配分するなんて、私には回ってこないわ。」(40代女性)。「定昇もなく、去年移行給がなくなり、今年から調整給まで減らされる俺たちには賃上げは無縁の言葉になった。」(50代男性) 組合は会社の回答水準が他産業や薬業大手他社と比べても高水準であり、交渉姿勢を評価して3月16日妥結しました。 組合支部の中には「2500円の要求は全組合員一律に配分してほしい」と支部としての要望を出したところもあったと聞きます。この意見が組合員が望んでいたことだったと思います。2500円が交渉の結果1000円になったのは非常に残念であるし、「昇給においても成果に応じた対価――能力役割評価に応じて配分することが、従業員のやりがい・働きがい、ひいてはシオノギの競争力の向上につながる」との会社の主張は「本当にそうですか」と言いたい。成果主義になって営業の人たちはやりがい、働きがいを持ち、売り上げが増えているのですか?研究の人たちは新薬を次から次へと開発しているのですか?製造の人たちは苦情・品質トラブルがなくなったのですか?決して良くなってはいないのではないですか。 かえって悪くなったと思います。目標を100%達成しても普通、110%、120%達成しないと良い評価は与えないとする上司。成果とは?目標とは?評価とは?いろんなことに?がつきます。 アメリカの成果主義は管理職だけに適用していると聞きます。また、先に成果主義を導入した企業は、評価で悩んでいます。一向に業績が伸びず品質問題・個人評価問題でトラブルを起こしたことで、成果主義賃金と年功序列型賃金を組み合わせたり、または年功序列型賃金に戻しているところなど見直しが増えています。成果主義賃金は「従業員のやりがい・働きがい、ひいてはシオノギの競争力の向上」とは反対に「従業員の将来に不安」を持たせ、「いきがい、働きがいをなくす」もので、シオノギの競争力を落とす」ものでしかありません。 1000円と少ない金額ではなく、利益に見合った5000円以上のベースアップを全労働者に一律に分配してこそ、「やりがい、働きがい」が望めるものであり、みんなの要望であると思います。経営陣と労働組合執行部の再考を強く願うものです。 『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』(光文社 城 繁幸著) ◆こんな「本」があります。読んでみませんか! 「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか〜元宮内庁記者から愛をこめて」
(板垣恭介著・大月書店・1,200円=現在約1万部売れているとのこと) ホームページ読者 山田 一 ご存じのように、皇室典範に関する有識者会議は、女性・女系天皇容認に踏み切りましたが、この本の著者は言っています。「だが待てよ。一人の女性の、敢えて言えば『犠牲』によって天皇制を存続させようとするのは、もってのほかだ。高齢による天皇の退位は議題にすらならなかった。いま考えなければいけないのは、こういう制度がこれからも必要なのかということだ。」 僕がこの本をぜひ読んでもらいたいと思うのは、天皇や皇室について論じているものでありながら、日本の国のあり方を考えさせるものとなっているからです。 今、「憲法」や「教育基本法」を変えようという動きが急ですが、それらについても考えるヒントを与えてくれます。 もう一つ。 著者はまた、「橋のない川」で知られる作家住井すえが「九十歳の人間宣言」という本の中で、天皇制についての次のように語ったことも紹介しています。 「天皇の地位が世襲であるかぎり、世襲というのは封建主義ということなんです。封建社会というのはどういうことかというと、世襲で家柄が決まっていく。世襲、すなわち封建なのです。 日本が敗戦後民主国家になったのなら、天皇は、当然、選挙で選ぶべきものなんです。それをだれも選挙で選ぼうと言わないし、天皇もまた、『ぼくは選挙で選んでもらったのではないから、その席にはつけない』とも言わずに、変なものを着て、変な儀式をやって、天皇で通るという、これは、日本はまだまだ民主国家じゃないんですね。」 みなさんはどう思われますか。
シオノギを辞めた後、新聞広告で見つけたパート先の会社に勤めてまず驚いたのが、次長も課長も休暇をよく取ること。6ヶ月過ぎて直属長から10日間の有給休暇シートを渡された時にも「休暇には期限あるから残さないよう早めに休みなさいよ」と言われたこと。 そしてなにより組合員の賃金一覧表(60歳まで1歳きざみの年功序列の賃金表)が職場に張り出されているのに気付いた時。そして社員のMさん(55歳女性)が「私は病気で1年以上休んだから、この通りの金額。普通の人はもっと多い。これは最低賃金やもん。」と言った時、『なんかここの会社はシオノギとちょっと違うぞ』と言う感触を持ちました。
ちなみに張り出されている金額はシオノギの基幹職の賃金とほぼ同額でした。新人教育の時には総務課長が「うちの会社は中小企業にしては給料が良いし、厚生年金基金も本人3割会社7割です。」と、ちょっと自慢げに説明してはりました。
「労働条件が良いのも、給料がよいのも組合が強いからよ」と普段の話し振りでは組合とは程遠い感じのMさんに教えてもらいました。そのMさんから「メーデーには毎年扇町公園に参加している、組合員はだいたい皆行く。当たり前でしょう。」と言われた。
そういえば、女子ロッカー隣の組合事務所の前や廊下には、でかでかとポスターが貼ってあります。「イラク派兵反対!」「医療制度の改悪反対!」「消費税増税反対!」「憲法改悪反対!」等など。鉢巻している人がウロウロしているわけでもないけど、主張する組合の姿勢を感じました。でも組合の委員長は、通勤途上で「おはようさん!」と気軽に声かけてくれる、人のよいおじさんです。
職場の人同士、軽口を叩きあう仲良しで、居心地の良いこの会社でも、パートの給料は正社員の半分に全然満たない額です。(パートの賃金としたら良い方らしく、ボーナスも夏冬とも1ヶ月分出る)それでもパートは日給制。会社からの休みも祝日も無給、公暇も産休も育休もない。楽しみのゴールデンウイークや盆休み、正月休みも給料が減る。
ここでは20代後半から30代の女性がパートで働いています。大半が短大や大卒です。高学歴の若い人もパートを選ばざるを得ない現状を目の当たりにしました。
時間の短いパートを選んだ理由はそれぞれですが、やっぱり給料が少ないとこぼしています。同期パートの若いKさんは「短大卒業してからずーと派遣の仕事をしてきたけど、少し前から3ヶ月の契約更新になった。派遣の方が時給はいいけど、3ヶ月毎にはらはらするのは本当に辛くて、パートでもいいと思いここへ来た。」と打ち明けてくれた。
パートの時給はパート規約で出勤率に応じ定昇額(3円、10円、15円)が決められていてその通りupされます。パートから準社員、正社員への道も開かれていますが、狭き門で、準社員はいるけど、正社員になった人はまだいないとのことです。
「この会社はまだまし、なんて言ってないで正社員への道広げてもらおう」と、Kさんに言いました。苦笑いしていたけど、残業もしているのに、辛抱するところ間違っているで。同じ仕事していること理解してもらおうね、そして「社員さん」って呼び方も止めようね。
このあと、音楽家9条の会代表、仏教者の代表、キリスト教の代表、マスコミ9条の会代表のリレートークがあり、途中でコントや歌、楽器演奏もありバラエティーに富んだ企画は会場を沸かせました。 最後に、本日の記念講演、ジャーナリストの大谷昭宏氏が登場、マスコミの中に身をおく本人の経験をとおして、権力による言論抑圧の危険な動きが強まりつつあることをビラまき逮捕事件など現実の事件で紹介、とりわけ後半国会でふたたび持ち出そうとしている、「共謀罪新設法案」の危険な狙いが国民の思想信条の自由を抑圧し、憲法9条の改悪を押し進める条件づくりとしての危険性を指摘した。 また大谷氏は広島の原爆記念碑にきざまれた被爆者への誓い「安らかに眠ってください過ちは繰り返しませぬから」という石碑の言葉を悪いのは原爆を落としたアメリカでありなぜ日本人が「過ちをくりかえしませんから」などと言うのかといった意見もあるが、そうではない。あの侵略戦争を許した責任の一端は当時の国民一人ひとりも負わなければならないものだ。今日、憲法をめぐる問題でも同じことが言えるのではないか、今われわれ国民一人ひとりが憲法9条の改悪を許して、日本をふたたび戦争のできる国にすることはあの侵略戦争でなくなった多くの戦争犠牲者の願いを裏切ることになり、また、なによりも日本の将来をになう子供たちに対して顔向けができない誤りを犯すことにならないか、なんとしても再び日本を戦争する国にしてはならない。この願いと思いがつまっているのが憲法9条だ!!!この力強い訴えに、憲法9条を守ることの大切さをあらためて認識した。自分の周囲の人に一人でも多く、このことを知ってもらいたい。すばらしい講演だった。
フリーター夫婦の例では、子どもができて妻が仕事をやめたため収入が半減、朝食は抜き、昼はカップラーメン、「妻は、自分と別れて生活保護を受けたほうがいいんじゃないかとさえ思った。なんのために働いているのか。自分の存在意義がわからなかった。」「すべての人を同じ収入にしろとは言わない。でも、働いても働いても生活できないのはおかしい。最低限暮らせる収入を保障してほしい。」と。 極端な低賃金のため、子どもができても育てられない。雇用や賃金の保障がしっかりしていないと、結婚したり子育てもできないではありませんか。何でこんな思いをしなければいけないのかと読んでいて悔しくなります。出生率がさがるのも当たり前です。 1997年以降、フリーターが急増しますが、非正規雇用増加の背景に財界のねらいがあるといいます。「コスト削減のため雇用を流動化させようと、1995年に日経連(当時)が『新時代の「日本的経営」を発表。それ以降、労働法制の改悪など政治が財界のねらいをフォローしていく関係にあり、小泉首相になってからは、それが露骨になっているそうです。小泉首相は「格差が出るのは悪くない。」と言いだしました。 私は、若い人たちがまじめに働いても生活できないようなこんな世の中が間違っていると思います。正社員を増やし人間らしい生活ができる賃金を保障しなさいということを声を大にして言いたい。こんな時世だから仕方がないとあきらめないで、みんなで、はたらきかけて世の中を変えていきましょう。働くものに冷たいこんな自民党に政治は任せられません。 ◆「アルバイト」を経験して 当日、あまりに若い人が多くてびっくり(先入観で、さぞかし地元のおばちゃんばかりと思っていたので・・・)。この若い人達は日ごろ働いていないのかと少しいらぬ心配をしたが、作業はいたって簡単で、もともと働いているパートさん達と一緒に、ケーキの上にいちごや飾りものをのせるだけでした。派遣やパート、アルバイトなど名札で区別し4種類。上着を着たままの子達は店頭販売員としてゾロゾロと部屋を出ていきました。 生クリームを扱うので、寒い部屋での立ち仕事。体は動かしているのに、指先、足先は凍えています(もちろん腰にはホカロン)。あとの方で申し込んだ人は希望の日数ではなく、1日だけにして下さいと言われたそうで、その人は年末、年始(12/30、31、1/1、2、3)も申し込んだと言っていました。 社内規定とかで、交通費・昼食代はなしで、時給は800円。23日(最終日)は予定数が出来たとかで、午後4時までのところ、2時半終了。給料はしっかり引いてあり、ほんとに都合よく、必要なところに必要なだけ人を動かすんだなと実感したきびしいアルバイトでした。 ホームページ読者 山田 一 私は映画を観ていつも元気や勇気、また考えるキッカケをもらっていますが、今回ぜひ若い男性に観て欲しい映画を紹介したいと思います。 パンフレットから少し物語を紹介すると・・・ しかし、二人の子供を育てて生きていこうとするジョージー。選んだ仕事は町の男たちに混じって鉱山で働くこと。 女性が勇気をふるって立ち上がっていく姿に、「フェミニスト」を自認する(実際はどうかな?)私は涙がとまらず、感動ものでした。ぜひぜひ観て下さい。
1998年の建築基準法改正の時に、建築確認検査の「開放」によって民間へ委託されるようになった。この時、日本共産党だけが「手抜き検査の横行」や「良好なまちづくりが困難」になると危惧して反対したが、それが現実になってしまった。 官から天下りした検査員がいる検査会社で、しかも大手のマンション建設会社が検査会社の大株主では、まともな検査など出来るはずがない。 マンション住民の方を救済する方法は 1. 政府や自治体はすぐに移転先を無償で提供できるようにする。 アメリカの駐留軍にタダで渡している約2400億円の思いやり予算をやめ、そのお金をまわす。あるいは、イラクの自衛隊派遣再継続をやめ、アメリカの戦闘機、戦艦への給油をやめるだけで数百億は捻出できる。 東京都など費用を出さない自治体もあるが、今後そのような議員や首長を選挙で選ばないことも重要になると思う。 2. マンションの再建費用は設計者、検査会社、建設施工会社が負担するのはもちろんだが、不足分は建築業界全体でも負担させる。 マンション建築に対しての不信感をなくすためにも建築業界が救済するのが当然である。それでなくとも大企業は減税されていて国民への利益還元がほとんどないのだから。 政府は「官から民へ」「小さな政府」を合言葉に変な改革を進めているが、よく考えると天下りの受け皿作りと、弱いものからまきあげた企業の利益の一部を自民党へ政治献金させるために行う政策だ。 後藤 修会場の中之島中央公会堂へ着いたのは6時30分頃ですでに主催者側のあいさつが始まっていました。参加者が多くて2階席から見ることになりました。 歴史的建造物で聞く大阪出身の林 明日香さんの歌は17歳とは思われない声量で、参加者も高齢者が多く、少し違和感を感じました。もっと若い人が多ければ、また音響効果がよければもっと盛り上がったでしょう。 海老名 香葉子さん(エッセイスト)の話には驚かされました。のっけから漬物の漬け方やそのおいしかったことの話でした。あの戦争で肉親を亡くし親類を転々とした死と隣り合わせの日々、言葉に出せないこともあったでしょう。冒頭の食べ物の話は平和でこそ作ることも食べることも出来るということと受け取りました。 市田 忠義さん(日本共産党書記局長)の話は、戦争で亡くなった兄弟姉妹に対する母親の無念から始まり、憲法9条をめぐる改憲問題をわかりやすく、笑いもあり、そして9条の会の前進を語られ、心強く感じ、私も何かしなければと思いました。 会が終わったのは9時過ぎで、外は寒く、「光のルネッサンス」という音楽に合わせて、木に飾りつけたイルミネーションの色が変わっていくイベントが、始まっていました。恋人たちや夫婦、若者のグループ、子供たちが携帯やカメラのシャッターを切っていたりして楽しんでいました。このクリスマスムードにつつまれた光景は、平和でこそなんだなーと思いつつ帰路に着きました。 ◆憲法を考えるシリーズ1 2005年12月 ホームページ 一読者 「自民党案を考える」シリーズの3回目です。今回は引き続き自民党案の第九章「改正」について新聞等を参考にしながら、私見を述べたいと思います。 現憲法の第96条では「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」となっています。 ◆憲法を考えるシリーズ1 前回、「自民党案を考える(1)」を投稿しましたが、今回は引き続き自民党案の第三章「国民の権利及び義務」について新聞等を参考にしながら、私見を述べたいと思います。 まず、第12条、第13条では現憲法が「公共の福祉のため」「公共の福祉に反しない限り」と記載されているところを、自民党案では「公益及び公の秩序に反しないように」「公益及び公の秩序に反しない限り」と変更されています。 「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」になぜ言い換えたのでしょうか。「公共の福祉」の規定として、ある人の人権と別の人権が衝突したとき、個々人の人権を抑えるものとして「公共」という調整機能が働くということでした。しかし、自民党政治は、「公共の福祉」を本来の意味では使っていません。沖縄県民の土地を米軍基地のために強制的にとりあげた際にも、「公共の福祉」が口実に使われました。 自民党は「公共の福祉」ではあいまいだとして、「公益」「公の秩序」と言う言葉に変え、国家の行うことが「公益」「公の秩序」としたいのです。自民党の「公益」とは日米同盟であり、「公の秩序」は戦争に参加する体制に他なりません。もし、日米同盟に反対したり、戦争に反対したら、憲法違反ということになりかねません。 次に信教の自由の点での国や国家機関の宗教活動はどうでしょうか。現憲法では、第20条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。・・・」とし、B「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」としています。 自民党案では第20条の本文は変えていませんが、B「で国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」とし、しばりを緩やかにしています。狙いは靖国神社への政治家の参拝が憲法違反だと言われないようにすることにあります。しかし、首相や閣僚が私的参拝として靖国神社に行くことが政教分離に抵触しないでしょうか。 首相や閣僚は国政の中枢におり、そういう人たちが宗教色強い神社へ参拝することは「信仰の自由」を本当の意味で理解していないことに他なりません。「信仰の自由」は国家が個人の信仰に直接介入や干渉をしてはいけないというだけでなく、国家が特定の宗教と結びつきを持つこと自体を禁止したのです。 どうしても行きたければ、首相、閣僚を辞めて行けばいいのです。アジア近隣諸国を不快にさせる参拝は、直ちにやめてほしいものです。
怒れる一組合員 組合の職場常会ではほとんど意見が聞かれなかったようですが、果たしてほんとうに意見がないのでしょうか。多くの組合員からは、“この場で言っても結果が変わるわけもない”“言えば自分の成績や出世に響く”“算定基準が複雑になってわからない”“形だけの常会だ”等という意見が帰ってくるのではないでしょうか。それとも、あまりに会社の都合のいい一時金算定基準の内容にあきれてしまったのでしょうか。 長年一時金を抑える方便として会社は“新薬が出るまでの辛抱や、それまでがんばってくれ”というので、組合員はがんばってきた。しかし新薬が出た途端、会社は前言を翻す暴挙に出た。組合員の悶々とした思いをわかっているのか。(怒り) こんな一時金の算定基準を賛成したのは誰なんだ。(怒り) 先日の経営協議会で一時金の算定基準を現行の「業績連動型一時金」に含まれていたロイヤルティーを除く営業利益とすることが労使で決定されました。 ロイヤルティーとはどういうものなのか、私たちの努力と関係ないものなのかを考えてみたいと思います。 研究の成果が新薬となって実を結ぶには、通常十数年以上の長い期間と億単位のお金がかかるわけですが、そのお金はどこからひねり出してきたのでしょうか。製造コストの削減努力、営業努力等から研究費として新薬の開発にまわしてきたのではないでしょうか。これがどうして我々の努力と関係ないといえるのでしょう。 一時金がロイヤルティーを除く営業利益というのであれば、研究所の成果はなかったということになるのではないでしょうか。成果主義賃金というのであればこれはおかしいでしょう。 会社は、中期経営計画が計画通り進むと5年後には、一時金が年間13ヶ月にもなり、あのタケダでも出さない金額をわが社が出せるか、と理由にならない理由で、ロイヤルティーを除くという。 もちろん株価にも反映するでしょう。 自民党案を考える(1) 自民党が10月28日、新憲法草案を決定しました。改憲案は、前文から「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」とした文言を削除し、侵略戦争の反省や平和的生存権の規定を消し去っています。本当にこれでいいのでしょうか?私たち日本国民の大部分は先の侵略戦争を深く反省し、二度とこのような戦争が起きないように願ったこの現憲法を支持してきました。 では何故、改憲ということになったのでしょうか。もともと、自民党には「軍隊」を持つべきだとか、先の戦争は侵略戦争ではなく、アジアの人たちの民族解放を助ける戦争であったなど現憲法を批判する人たちが多くおり、以前から改憲のチャンスを狙っていました。そして、アメリカの強い要請と今年の衆院選での大幅な議席獲得を機に改憲案を出してきました。つまり、改憲案で自主憲法と謳っていても9条についてはアメリカの要請に応えるなど矛盾したものです。 また、戦力を保持しないとか、交戦権を認めないとする第9条2項を削除し、「自衛軍」による海外派遣と集団的自衛権を行使できるようにしている。つまり、国連の要請ということだけではなく、アメリカの要請にも応えて海外派遣するということになる。 いままで大切にしてきた平和、戦争を二度と起こさないということを根底からくつがえすことになります。 こどもたちを戦場に送らない、大切なひとを戦場に送らない、そして、アフガニスタン、イラクなどの戦争でわかるように、力での解決では決してその国に真の平和は戻ってきません。今の憲法を守ることが家族の未来、日本の未来に平和をささげることになると思います。 ホームページ読者 「やっぱり扶養給、廃止されるみたい」夕飯時、夫から出た言葉に「なんで!取りやめになったのと違うの」と少し声を荒げた私。 私はシオノギに勤める夫を持つ専業主婦です。愚痴を言うようですが、夫の給料はここ数年、増えるどころか月数万円単位で減り続けています。 家計の足しにと続けていた私のパート勤めも、どうしても辞めざるを得ない家庭の事情で辞め、その収入減も大きな痛手となっています。 「サラリーマン家庭へ増税の嵐!」、「庶民生活直撃!消費税10%から12%に」とか騒がれてもどうしたらいいのか、腹が立ってもおろおろするばかりです。選挙で世直しするしかないといっても、選挙の時は、マスコミのムードに押され騙されてしまう人が多いし、悲しいです。 扶養給が廃止になって困るのは我が家だけなのでしょうか? 成果主義とかに合わないらしいですが、もとは調整給だったのを名前変えて扶養給にしたんですよ。そんなもともと給与だったものを手当てに名前変えて、成果主義に合わないから廃止なんて納得できません。 1997年の給料から2005年まで、「我が家の給料推移」のとおり、ほぼ賃上げなしのままで、手当て分を除けば、ほぼ3割の給料が減りました。 組合の幹部の皆さん、扶養給存続するように、会社に納得させてください。お願いします。 我が家の給料の推移
A:住宅給 B:扶養給 C:暫定給 D:調整給与 ◆ヒロシマデーによせて 2005年10月1日 J.J 8月6日からふた月が経ちます。ここ数年の間、テレビで見ていた広島市長の平和宣言がすばらしかったので、一度生で聞いてみたいと思い立ち広島に行きました。 この日は朝から蒸し暑いの一言につき、大勢の人たちの中に混じって立っていると頭がボーとして、おまけに前の女性が日傘をさしているため市長の顔も見えず、声もよく聞き取れませんでした。前の女性がいなくなったなと思ったら、小泉首相のあいさつの番で、これは顔もみたくないので式場を後にしました。家に帰ってからゆっくりテレビで市長の話を聞きなおすことにしました。 元安川のほとりに行くと、岸辺はきれいに整備され柳の枝がゆれ、小魚が泳ぎ、外人さんが二人座って、川の水に足をつけていました。かわには遊覧船のような船が浮かんでおり、その上で男性歌手がジョン・レノンのイマジンを歌っていました。この景色だけを見ていると平和そのもので、かつてこの川をおびただしい焼死体が埋め尽くしていたことなど想像できません。ただ、崩れかけて立つ原爆ドームだけが、「本当にあったことなんだよ」と私に語りかけているように思いました。 こうやってみると、年月がすぎて真実を伝えていく、受け継いでいくというのは難しいものだなと感じます。その場に来ても、なかなかピンとこないのですから。私は家に帰って、もう一度「はだしのゲン」の漫画を読み直してみようと思いました。 帰宅して早速テレビを見て、新聞で読み直しましたが、「国連が2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう期待し、そのために私たちは世界の多くの国、多くの人たちと核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開する。」と宣言しており、具体的な展望を示し世界に働きかけていこうという気迫を感じました。 ◆靖国神社に行ってきました 靖国会館 ゼロ戦 倉橋 ときも時なのか結構若者もいて見学者ももちろん多くいました。なんとなく緊張! さて緊張して望んだ遊就館でしたが、声高に叫びたてるものはなくいきなり「いざなみ」、「いざなぎ」の神様つまり神話登場。 そして、展示物はひたすら戦争に巻き込まれていった人々のけなげさと一途さを強調。 でも待って・・どうしてこんなことに何故こんなことに。 イラクで人質になり、解放されて帰国してからは、日本の政府とマスコミから自己責任論のバッシングを受けた高遠さんは、今、またイラクの地にたっています。 何が、彼女をそこまで突き動かすのか、たいへん関心を持っていました。その彼女の講演会があると聞き、是非、話を聞いてみたいと思い参加しました。 小さな会場は、約350名の参加者であふれ、立ち見の人も出る盛況ぶりでした。 マスコミ報道で大変なバッシングを受け、落ち込んだ姿を見せつけられていたので、少し心配していましたが、なかなか堂々とした人で、過酷な修羅場をくぐりぬけて来た人間の持つ、たくましさを感じました。 講演の内容は、一般のマスコミ報道とはまったく違うイラクの生々しい現実をみせつけられました。どんな「大義名分」があろうと武力で他国へ侵入することは、一般市民にどんなに悲惨な不幸をもたらすか、あらためて認識させられました。 結婚式場が空爆をうけ、多くの子供をはじめ善良な市民が殺された事件は記憶に新しいところですが、このときの生々しい死体の写真はまともに目をみひらいて見られませんでした。こうした写真は米軍の厳しい監視体制のもとで提供する側も受け取る側も命がけの活動だそうです。 高遠さんは今、戦争で家族を失い一人ぼっちになった青年たちが将来に展望を失い、ドラッグに蝕まれている現実に心を痛め、こうした青年たちに様々な職業のノウハウを教え、社会復帰させる手助けをしたり、戦争で破壊された学校や病院を現地の人の雇用で再建する仕事に取り組んでいるそうです。 子供たちが職業を身に付けて自立していく姿や壊された学校や病院が修復されていく様子が写真で紹介されると会場から大きな拍手が沸き起こりました。 日本の若者のなかにも高遠さんたちのような青年がいることに誇りを感じ、大きな励ましと勇気をもらいました。同時に、わたしたち一人一人が自分にも出来ることをみつけて意識的に関わることが今、もとめられているのではと強く感じました。 手作りで「小田実氏の講演」との1枚のビラと友人の誘いに、「ふと」気が向いて参加しました。 主催者の挨拶の後、呼びかけ人の1人が往診が長引いたため遅刻という、おまけ話つきのアットホームな会でした。 プログラムは「大阪大空襲体験を語る会」、「教え子を再び戦場に送らない」方々の話があり、憲法前文と9条の朗読がありました。 そして、メインの小田実氏の講演です。 小さな会場ながら満席と熱気に目を細められ、「年寄りが、頑張れば若者はついてくる」で講演は始まりました。 「憲法9条の会」は危機感の共通認識で集まった会で、呼びかけ人の平均年齢が77歳だそうです。 「新しいアイデアと思想信条を超えて新しい価値観をつくる」これは全国を回って感じたことだそうです。 また、ご自身の戦争体験を語られました。それは、壮絶で、都市を焼き尽くす8回の空襲。 1000メートル上からの爆弾と2トン爆弾。堂島川に飛び込んだ人々が安治川を流れて海に出るんだそうです。そのむごたらしさ、そして、餓え。 あらゆる名目で戦争に反対を。 武器を持たない、とらない権利を行使しよう。 |
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