第2回のテーマ
日本共産党への「疑問・質問に答える」シリーズ

「疑問・質問に答える」シリーズ(第2回)

Q:日本共産党の党名を変えれば、もっと伸びると思うが…続き

名前に刻まれた党の歴史
 日本共産党という名前には、党をつくって96年、平和と民主主義、社会進歩をめざしてたたかってきた不屈の歴史が刻まれています。
 
 戦前、国民の自由や民主主義のない暗黒政治の下で、日本共産党は、平和と民主主義の旗を掲げて、1922年に誕生しました。党創立の初めからその存在そのものが禁止され、党員作家・小林多喜二が虐殺されるなど、専制政府は野蛮な弾圧を加えましたが、日本共産党は、節を曲げずにたたかい抜きました。
【補足】
 戦前の日本は資本主義が急速に発展していましたが、同時に、世界でも最も専制的で反動的な国家権力(絶対主義的天皇制)を支柱にした資本主義で、社会主義を敵として弾圧したことはもちろんでしたが、「平和」と「民主主義」に対する敵意にはそれ以上に強烈なものがありました。「治安維持法」に代表される弾圧法の下、活動家などを「死刑」にまでして民主化の阻止を図ったのです。

 この戦いは戦後、戦争への反省とともに、国民主権を明記した日本国憲法に実を結ぶことになり、侵略戦争に協力した他の政党は、戦後同じ名前で活動できませんでした。平和と民主主義を求める国民を前に、名前を変えざるを得なかったのです。その中で、一人日本共産党だけは戦前と同じ名前で堂々と活動できたのです。

 今日、政党の離合集散が繰り返されてきた中、変わらぬ党名で活動する日本共産党への信頼が寄せられています。96年間にわたる先輩たちの努力を刻んできたこの名前を、大切にしたいと思っているのです。
【補足】
 保守派は、戦前「政友会」と「民政党」に分かれていましたが、競い合って戦争を推進した戦争派であったし、社会民主主義の政党は、中間的には離合集散があったのですが、最後には「社会大衆党」に統一されました。しかしこの党も戦争推進派で、1940年には、党を解散して保守諸党と一緒に「大政翼賛会」に合流してしまっています。戦後の民主政治の下で、同じお名前で活動することができなかったことは当然と言えるのではないでしょうか。
 
 私たちが党名にこだわるのは、そこに未来への理想と、国民の利益を守って活動してきた党の歴史が刻まれているからです。党名に込められた理想と歴史を多くの方に知っていただき、支持と共感を得られるよう、これからも頑張るものです。
【補足】
 日本共産党には、坦々(たんたん)と成長したという時期は一つもありません。ソ連共産党や中国共産党からの攻撃に始まり、国内では、「アカ」攻撃に始まって、戦前には権力が送り込んだスパイが社会的道義を踏みにじる事件を自分で起こして、罪を党になすり付けるという挑発事件さえあったのです。これらのような様々な反共攻撃を打ち破りつつ前進を勝ち取ってきています。また、「共産党を除く」政治支配による「共産党排除」にも抗しつつも、今日、「市民と野党の共闘」への発展にみられるのは、これまでの開拓と苦闘の歴史の結実となっているものです。

 次回は、「党の活動資金はどうなっているのですか?」についてを、紹介したいと思います。 

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