第1回のテーマ
概要「日本共産党の紹介」シリーズ(9)


日本共産党綱領 第2章 現在の日本社会の特質(第4回)

 戦後の変化の第3点目は、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたこと。
 綱領部分の引用をしておきます
 「第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つになった。」

農地改革の意義
 戦前は、耕地全体の約46%、半分に近い277万町歩の土地が小作地で、高い小作料を負担する零細な小作農によって耕作されていました小作料を取り上げるだけの寄生的な地主が、農村では大きな実権を持っており、“女工哀史”やテレビドラマ“おしん”に描き出されたように、この仕組みが日本社会の封建的な性格の基盤ともなり、日本の貧困の根ともなっていたのです。
 「町歩」は、尺貫法での土地面積の単位で、1町歩は約1ヘクタールに当たり、10,000平方㍍に当たる。

   農地改革は、寄生的な地主制度を解体し、約2百万町歩の耕地を、寄生地主から取り上げて、小作農に売り渡し、自分の土地をもって農業経営に当たる自営農民が、農業の主要な担い手となったのです。
 この変化は、農業の分野だけでなく、社会と経済の全体に大きな影響を及ぼし、労働力の確保と市場の拡大との二つの面から、大企業を中心にした日本経済の高度成長に道を開く役割をも果たしました。

 この時期の民主化の措置は、実行されましたが、多くの場合「上からの改革」として行われ、国民がそれを自分のものとして消化するためには一定の時間が必要でした。

   労働組合運動の分野で見てみると、労働者の団結権は、1945年10月の「5大改革指令」で実行された改革でした。これは経済荒廃のなか生活危機にある労働者の間に急速に反響を呼び労働組合結成の波が全国に広がり、労働組合法が施行されたのは1946年3月でした。しかし、アメリカの占領政策が、労働組合運動の弱体化工作の先頭に立つようになり、そのことが半世紀以上もたった今日でも、いろいろな形で、労働戦線に影響や傷痕を残している事は、無視出来ません。  

 改革でも「上からの改革」ではなく、労働者自身が自分の戦いで勝ち取った国では、改革が日本のように建前だけという事は起こりません――フランスの人民戦線時代の経験から。
 8時間労働制でも、1930年代の人民戦線の時代に、労働者階級がゼネストを含む全国的な大闘争を展開して勝ち取りました。有給休暇制度についても同様です。
 「ルール無き資本主義」から抜け出す問題として、念頭に入れて取り組む事が必要でしょう。

 次回は、綱領2章の中心的問題である日本社会の現状の解明について示したいと思います。

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