第1回のテーマ
概要「日本共産党の紹介」シリーズ(5)

日本共産党綱領 第1章 戦前の日本社会と日本共産党(第3回)

 戦後を迎えることとなった敗戦、いわゆるポツダム宣言の受諾の内容は、一体どういうものだったのでしょう。
 まず、綱領第1章の最後の段落を紹介しておきます。
 「ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退する中で、1945年8月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかった事を、証明したものであった

 ポツダム宣言は、1945年7月、ドイツのベルリン郊外のポツダムで、アメリカ、イギリス、ソ連の3カ国の首脳が会談し、その取り決めに基づいて発表された共同宣言で(全体で13項目)、日本に対して、降伏を要求するとともに、その条件として7項目の対日要求を明記しています。

 世界の反ファシスト連合国の日本に対する共同要求で、日本の無条件降伏と日本の民主化・非軍事化を要求していました

 
この降伏を単純化して「無条件降伏」と呼ぶことがよくありますが、ポツダム宣言が「無条件降伏」の言葉を使っているのは、第13項の「全日本国軍隊」に対する要求のところだけです。「我らの条件は左のごとし」(第5項)と明記しているように条件はありました。日本の軍国主義の権力・勢力の永久的な除去(第6項)と日本の民主化(第10項)、国民の自由な意思に基づいて平和的傾向を持つ政治が樹立される事(第12項)などが条件の基本的なものです。(13項全文は字数の関係上省略します)。


 ポツダム宣言に示された軍国主義の権力の除去と日本の民主化という目標は、当時の世界の大多数の諸国民共通の要求で、この宣言で提起されている平和と民主主義の目標に比べ、日本社会の状況は遙かに遅れた状態にあったのです。

 この宣言の実行を日本政府に任せるわけにはゆかず、連合国の意思を代表する占領軍が、日本に存在する憲法や法律に拘束されない超憲法的な権限を持った絶対権力として宣言の内容の実行に当たったのです。

 占領軍のそういう任務と性格についても、宣言の内容を実現するために、日本を連合国による占領の元に置く事(第7項)、目的が達成されたら「連合国の占領軍」は、直ちに日本から撤退する事(第12項)を明確に規定していました。
 占領軍の中心がアメリカであった事が、戦後日本の状態に大きな影響を与える事になりました。


 次回は、日本共産党綱領第2章、「現在の日本社会の特質」へと進みたいと思っています。

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