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シオノギ元社員
いま話題になっている「いじめ」について考えてみました。
子供たちの中には大人社会で横行している「いじめ」を見て、同じようにまねして「どうして悪いの
か」とふしぎに思っている子もいるのではないでしょうか。
大阪府知事・市長が学校の先生に対し国歌を歌わないと罰則を与えると唱え、「維新の会」議員たちが同調し、その長の意向に沿って法律を作る。そして市長のめがねにかなった公募の校長たちが何の疑いもなく実施する。
これは一見、問題ないように思えますが、権力を振りかざした「いじめ」にほかなりません。
国歌であっても歌いたい人も歌いたくない人もいます。それを強制するのは憲法違反です。先生たち個人個人の人権を大事にしないで「いじめ」という暴力をなくすことはできないでしょう。
子供たちはその先生たちの状況を見て、先生に相談したり、頼ったりしなくなるでしょう。そして友達を「いじめ」ること(罰則を与えること) に対し、何の抵抗もなく行うようになるでしょう。
権力でむりやり従わせる。これでは北朝鮮の独裁国家と変わらないと思います。
こうした大人社会の「いじめ」を「いじめ」として捉えないで、むしろ「維新の会」が良いことをしていると「あおっている」大人たちやマスコミに問題があり、「いじめ」問題の根の深さがあります。
大企業では下請けの企業に「納期を短縮しろ、もっと安くしろ、でないと取引をしない」などと脅す。これは「いじめ」の典型ですね。
さらに、ある企業の中では職制が、労働者に「協調性がない、仕事が遅い」などとしてパワハラまがいの言葉で脅す。そこで「履歴書の書き方」まで教育し、リストラを進めようとする。自分たちがきちんと時間をとって技術指導なり技術教育しないで、労働者に責任だけを押し付ける。これらはみんな「いじめ」です。
これも学校の中で起こっている「いじめ」構造と全く同じです。
一方、今の政府は「弱いものいじめ」の消費税増税を決め、集めたお金を相変わらず必要もない高速道路・ダムなどのゼネコン工事に注ぎ込む。
こうして考えると、日本では学校の中だけでなく、社会全体が「いじめ」構造になってると言えるのではないでしょうか。
「いじめ」はなくせるのか(続)
大人社会での「いじめ」をなくすことができるのか。
日本の社会は極端に言えば「いじめ」ることを前提に成り立っていると言っても過言ではなく、なくすことはそう簡単ではありません。
企業では派遣社員などを年収200万円(時給800円程度)で働かせている一方では年収10億円の社長がいる。何かおかしいと思いませんか?
労働の対価として社長が500人分の仕事をしているとはとても思えません。
この所得の低下と所得格差が人々の「気持ちの余裕」をなくしてしまっているのです。
私たちが育ってきた1950年代では、物は豊富ではありませんでしたが、今ほど格差もなかったと思います。その頃にも学校内でけんかもありましたが、「いじめ」はほとんどありませんでした。その頃は所得格差が今ほどひどくはなかったと思います。
現在、労働者はどんどん給料が下げられ、生活が苦しくなり食べ物も十分買えない層が増えています。その結果、家庭内でも余裕がなく、ギスギスして少しのことで怒りやすくなる。さらに朝早くから夜遅くまで働き、子供と話す機会がほとんどありません。
結局この所得低下と不況によるリストラの弊害が子供社会に大きな影響を与えているのです。
前政府の自民・公明党や今の政府民主党が、財界の意向に沿って民間企業の給与を低く抑えようと派遣労働を一般の仕事にまで広げる法律を作りました。
そしてこれらの法律には反対せずに不満のはけ口を別の方へ向けるため、公務員の所得が高いとバッシング(いじめ)する「維新の会」の人たち。
この大人社会の労働者や弱者の人たちへの「いじめ」をなくさない限り、その鏡である子供たちの「いじめ」はなくならないでしょう。
利益追求が第一の世界(政治)と隣の友達を蹴落さなければ上がれないシステムを変えることが出来れば「いじめ」をなくすことが可能だと考えますが、みなさんはどう思いますか。